余白

「動く美術館」と呼ばれる鉾と山

祇園祭の起源は、平安時代の祇園御霊会です。御霊会では66本の鉾を立てて、災厄除けを願いました。鉾とは両刃の剣を持つ武器でした。祇園祭の鉾の高い支柱は、武器としての鉾が姿を変えたものとされています。南北朝時代に入ると、芸能を演じる舞台に車輪がつき、この支柱と合体し、今日の「鉾」の姿に近いものとなりました。
祇園祭には「鉾」とともに「山」も出ます。「山」の方は、祭りに神霊を招くために設置される作り山が変化し、発達したものと考えられています。車輪はつかず、お神輿と同じように人が担ぎます。

「鉾」や「山」は、財力を蓄えた京の町衆によって美術品で飾られました。壁面にはインドやペルシャの絨毯、ヨーロッパのタペストリーなども貼られています。当時としては、最高の贅沢三昧でした。やがて古今東西の美が融合し、絢爛たる華を開いたのです。

鶏鉾の絵

▲鶏鉾の絵

前祭(7月17日巡行)の山鉾

祇園祭は、大きく分けて、神様が民衆の所へお出ましになる神幸祭と、神泉苑で疫病退散の祭りをしてお帰りになる還幸祭の2つから成ります。神幸祭の露払いをする行列イベントが前祭の山鉾巡行、還幸祭の露払いをする行列イベントが後祭の山鉾巡行です。
前祭の山鉾と後祭の山鉾は、蛸薬師(たこやくし)通で区切られます。前祭には、蛸薬師通より南側の山鉾が参加します。
山鉾を華麗に彩り、非日常的な状況を作り出すための趣向や装飾を、山鉾風流(やまぼこふりゅう)と呼びます。前祭は、珍しくて貴重な装飾品を飾って神様の目を驚かせ、にぎやかな祇園囃子を奏することで神様の耳を楽しませます。そして、その楽しみを群衆も分かち合い、神と人がともに相和す、神人和楽の境地をつくり上げていくのがねらいです。

長刀鉾

▲長刀鉾

長刀鉾(なぎなたぼこ)

常に先頭を行く 行列の順番は、毎年変わりますが、何件か、変わらないものもあります。長刀鉾は、常に先頭を行くことが決まっています。
歴史は古く、応仁の乱以前からあり、1500(明応9)年のくじ定めでも1番でした。この鉾がしめ縄を切らない限り、どの鉾も山も動き出すことはできません。

稚児が乗る 祇園祭の鉾と山の中で、唯一、生稚児が乗り、2人の禿(かむろ)を従えます。祭礼の間、稚児は長刀町の養子となり、町から結納が贈られます。また、稚児の家には「祇園牛頭天王」の軸が飾られ、清浄に保たれます。

鉾頭(ほこがしら)は長刀 最も古くは、三条小鍛治宗近の作の大長刀が使われていました。その後、長い歴史の間に何代か鍛治職人が替わり、1837(天保8)年、竹製となりました。竹製とは言え、漆を塗って銀箔を押し、装飾を施した、立派なものです。

所在地 京都市下京区四条通烏丸東入長刀鉾町
鉾建て 7月10〜12日
曳き始め 7月12日 15:30(一般搭乗は13日 9:00から/女性は町家2階まで・搭乗不可)
授与品 粽、玩具の長刀など

函谷鉾

▲函谷鉾

函谷鉾(かんこぼこ)

孟嘗君と函谷関の史話 古代中国、戦国時代の政治家・孟嘗君は秦の宰相となりましたが、讒言にあって終われ、危難を避けて逃れました。函谷関まで逃げてきたとき、まだ夜明け前でしたが、食客のひとりに鶏の鳴き真似が上手い者がいて、門を開けさせ、逃れたという故事にちなんでいます。

大きさ 総重量約12t、高さ約24m
所在地 京都市下京区四条通烏丸西入函谷鉾町
鉾建て 7月10日
曳き始め 7月12日 14:00(一般搭乗は13日9:00から)
授与品 粽、扇子など

菊水鉾

▲菊水鉾

菊水鉾(きくすいぼこ)

菊の紋の高い鉾 唐風の大屋根の上に長く鋭い鉾が突き上げるように立っています。鉾の付け根には、透し彫り上向きの16弁の菊の押絵紋がついています。菊には不老長寿の働きがあり、中国の仙人・彭祖(ほうそ)が、山中で甘菊の露を飲んで700年も生きたという話が元になっています。
天明の大火をはじめ、大火で何度か焼失しましたが、1952(昭和27)年、小林尚珉氏によって制作され、戦後復興のシンボルとなりました。

所在地 京都市中京区室町通四条上ル菊水町
鉾建て 7月10日 8:00
曳き始め 7月12日 15:00(一般搭乗は13日13:00)
お茶席 7月13日〜16日
授与品 粽(不老長寿・商売繁盛)など

月鉾

▲月鉾

月鉾(つきぼこ)

月読命(つくよみのみこと)がモチーフ 大屋根の上に細長い鉾が立ち、そのてっぺんに三日月が飾られてます。日本神話の月読命に話を取っています。月読命は日本神話で、伊耶那岐(いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)の国からもどって、みそぎをしたときに生まれた月の神様です。

稚児人形 昔は生稚児が乗っていましたが、1912(明治45)年から人形「於菟麿(おとまろ)」になりました。3代目、伊藤久重の作です。

軒回り 円山応挙が描いた草花図や、左甚五郎の作と伝えられる白兎で飾られています。
茶室 月鉾の内側は、畳を敷けば茶室になります。実際に使われたこともあります。
大きさ 総重量約12t、高さ約26m
所在地 京都市下京区四条通室町西入月鉾町
鉾建て 7月10日 8:00
曳き始め 7月12日 15:00(一般搭乗は14日9:00から)
授与品 粽、手拭い、扇子など

鶏鉾

▲鶏鉾

鶏鉾(にわとりぼこ)

鶏の像はない? 大屋根の上に鋭い鉾が立っています。鉾の先端には竹でつくった三角形がついています。鶏の人形などはないのに、鶏鉾と名がついているのが不思議です。

2つある鶏の伝説 神話時代の中国の皇帝、堯(ぎょう)の時代、政治に不満があるときに太鼓をたたくように置いたのに、太平であったため、たたく者がなく、鶏が巣をつくったという話があります。
また、日本神話では素戔嗚尊(すさのおのみこと)の悪さに怒った天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸に隠れたとき、暁を告げる長啼鶏に啼かせ、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が踊りを踊ったという話があります。

トロイ戦争の見送 見送(背面画)には、トロイ戦争でトロイの王子ヘクトルが妻子と別れを告げる場面が飾られています。1815(文化12)年に購入し、重要文化財となっています。

所在地 京都市下京区室町通四条下ル鶏鉾町
鉾建て 7月10日
曳き始め 7月12日 15:00(一般搭乗は13日 13:00から)
授与品 粽、扇子、手拭いなど

放下鉾

▲放下鉾

放下鉾(ほうかぼこ)

芸人の「放下僧」に由来 室町時代以降に現れた、僧形の芸能者「放下僧」の小さな天王人形が、細い鉾の先端近くについています。「放下僧」は、当時、手品や曲芸などを演じて人気があったので、取り入れられたと思われます。大屋根の下には、稚児人形が置かれています。

所在地 京都市中京区新町通四条上ル小結棚町
鉾建て 7月11〜13日
曳き始め 7月13日 15:00(一般搭乗は15日 10:00から/搭乗は男性のみ)
授与品 粽、手拭いなど

岩戸山

▲岩戸山

岩戸山(いわとやま)

日本神話に由来 大屋根の上に伊弉諾命(いざなぎのみこと)の像が乗っています。伊弉諾命は伊邪那美命(いざなみのみこと)とともに高天原から降りて、日本の国土をつくり、さまざまな神々を産んだ原初の神様です。
大屋根の下には、天照大神(あまてらすおおみかみ)がほかに類のない男神像として置かれています。また、天照大神が天岩戸に隠れたとき、岩戸を開けた手力男命(たぢからおのみこと)の人形もあります。

山と鉾の中間 「山」と名はつきますが、鉾とと同様、車輪がついています。また、鉾頭の代わりに松が立ててあります。これは、室町時代に曳山に改造された名残りです。

所在地 京都市下京区新町通高辻上ル岩戸山町
山建て 7月11日
曳き始め 7月13日 15:00(一般搭乗は14日 9:00から)
授与品 粽、手拭いなど

船鉾

▲船鉾

船鉾(ふねぼこ)

神功皇后と神々 豪華絢爛とした船の形の鉾です。神功皇后、住吉明神、鹿島明神、および龍神の安曇礒良(あずみのいそら)の4体の像が飾られています。船首には金箔を貼られたm鷁(げき)と呼ばれる想像上の瑞鳥がついています。

大きさ 総重量約10t、屋根の高さ約6.7m
所在地 京都市下京区新町通綾小路下ル船鉾町
鉾建て 7月11〜13日
曳き始め 7月13日 15:00(一般搭乗は13日 19:00から)
授与品 粽、腹帯、安産御守など

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山伏山(やまぶしやま)

修験者の像 平安時代の文章博士として名を残す三善清行(みよしきよゆき)の第8子、浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)の像が立っています。浄蔵貴所は幼い頃から聡明で、修験者の道を選びました。亡くなった父・三善清行を蘇らせた逸話などがあります。人形は山伏の姿をしています。

山伏山は応仁の乱の前からある、歴史ある山です。歴史上の大火でも罹災せずに切り抜け、江戸時代後期の元治の大火でも一部を焼いただけで助かりました。1869(明治2)年に再興されました。

所在地 京都市中京区室町通蛸薬師下ル山伏山町
山建て 7月13日 9:00
授与品 火除け・雷除けの粽など

孟宗山

▲孟宗山

孟宗山(もうそうやま)

モウソウチクの孟宗にちなむ 中国の三国時代の人物で、年老いた母親に好物のタケノコを食べさせようと、厳冬の雪の中、竹林をさまよい、タケノコを見つけて持ち帰った孟宗の人形が立っています。なお、モウソウチクの名は、孟宗に由来します。松の枝に雪を表わす綿が飾ってあります。
人形は天明の大火で焼失し、1796(寛政8)年に再現されたものです。

所在地 京都市中京区烏丸通四条上ル笋町
山建て 7月14日 8:00
授与品 粽、扇子、手拭いなど

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太子山(たいしやま)

聖徳太子像を飾る 歴史に名高い聖徳太子の像を飾っています。聖徳太子が霊験によって六角堂を建立したという話に基づき、山鉾の中で唯一、松ではなく、杉を立てています。
像のくつの裏にある記述によると、1735(享保2)年の作です。

阿房宮図 大きな前掛けには、秦の始皇帝が造営した阿房宮のようすが描かれています。1755(安永4)年、狩野派の画家、川島松皇によって下絵が描かれました。

所在地 京都市下京区油小路通仏光寺下ル太子山町
山建て 7月14日 8:00
授与品 杉の葉入りの粽、智恵御守、身代わり杉守など

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郭巨山(かくきょやま)

中国の孝行息子の説話に由来 後漢の時代の郭巨という孝行息子の像です。高さは約160cmで手に鍬を持ち、小人形と呼ばれる子どもの像を伴っています。
江戸時代に天明の大火で焼け、1789(寛政元)年、細工師の金勝亭利恭(りきょう)により復元されました。衣装は1981(昭和56)年の新調です。

郭巨 後漢の時代、郭巨という男がいました。家が貧しく、母に孝養を尽くすことができないため、子を捨てる決心をして、山に入りました。すると土の中に釜があるのを見つけて、のぞいてみると、黄金がいっぱいに満たされていました。地上から見えにくいですが、金の釜もあります。

所在地 京都市下京区四条通新町西入郭巨山町
山建て 7月13日 7:00
授与品 小判付きの粽、乳の御守、手拭いなど

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保昌山(ほうしょうやま)

花盗人、平井保昌 平井保昌(藤原保昌)は、大江山の鬼退治で知られる源頼光の家来で、歌人の和泉式部の夫であった人物です。あるとき保昌が女官に恋をし、その女官から「紫宸殿の梅を取ってきてほしい」と言われて、宮中に忍び込み、首尾よく盗み出したという話を描いて、大きな梅の木が飾られています。
応仁の乱以前からあり、古くは「花盗人山」とも呼ばれて、親しまれてきました。

所在地 京都市下京区東洞院通松原上ル燈籠町
山建て 7月12日 9:00
授与品 粽、恋愛成就御守など

油天神山

▲油天神山

油天神山(あぶらてんじんやま)

梅と天神坐像 細形の明神鳥居が立ち、奥に社殿があります。社殿の中に円鏡を貼り、座高15cmほどの精巧な彩色木像の天神様が座っています。天神様にちなんで、梅の大枝が建てられ、背景には松が飾られます。

油天神 御神体の天神坐像は、藤原北家を出自とする風早(かざはや)家という公家の邸宅に飾られていました。油小路にまつられる天神様なので、ストレートに油天神山という名がつきました。天神の霊を招いたのが丑(うし)の日であったため、「牛天神山」とも呼ばれます。
江戸中期の天明の大火で焼失し、1795(寛政7)年に復興。さらに元治の兵乱で被災し、1872(明治5)年に復興しました。

所在地 京都市下京区油小路通綾小路下ル風早町
山建て 7月13日 6:00
授与品 梅花付きの粽、絵馬(願掛け牛の絵)、学成就守など

四条傘鉾

▲四条傘鉾

四条傘鉾(しじょうかさぼこ)

傘が御神体 オレンジ色の平たい円筒形の垂り(さがり)の上に、フタのように薄い傘がついています。その上に松が飾られています。

棒振り踊り 棒振り・鉦・太鼓・ササラを受け持つ子どもたちが、華やかな衣装をつけて踊ります。富山県五箇山地方に「こきりこ」という竹を使った民俗楽器があり、それをイメージさせるものとして応仁の乱の頃に成立したと考えられています。

所在地 京都市下京区四条通西洞院西入傘鉾町
鉾建て 7月14日 7:00
授与品 粽、厄除け御守、わらじかざり御守など

蟷螂山

▲蟷螂山のカラクリ

蟷螂山(とうろうやま)

カマキリの飾り 蟷螂とは中国の言葉でカマキリのこと。御所車の上に、大きなカマキリが止まっています。1977〜1981(昭和52〜56)年に大修理が行われ、名古屋のカラクリ人形師・玉屋庄兵衛によって、車輪と連動してカマキリが動くように復元されました。

所在地 京都市中京区西洞院通四条上ル蟷螂山町
山建て 7月14日 8:00
授与品 粽、手拭い、扇子など

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伯牙山(はくがやま)

琴の名手、伯牙 古代中国の春秋時代の琴の名手、伯牙の人形が飾られています。友人で琴を聞く名人であった鐘子期(しょうしき)が死去したのを悲しみ、弦を絶って二度と琴を弾かなかったという故事が元になっています。

所在地 京都市下京区綾小路通新町西入矢田町
山建て 7月13日 9:00
授与品 粽、手拭いなど

木賊山

▲木賊山

木賊山(とくさやま)

謡曲「木賊」の老翁像 能の大成者、世阿弥の謡曲「木賊」が元になっています。

「木賊」 父と生き別れた松若は、都の僧に伴われて故郷の信濃へ帰り、木賊を刈る老人に出会います。老人は「はぐれた我が子と会えるよう、宿をやっている」といいます。この老人が父であったという、妖しいまでの人間の情が立ち上る愛憎劇です。

所在地 京都市下京区仏光寺西洞院西入木賊山町
山建て 7月13日 9:00
授与品 粽、迷子御守など

霰天神山

▲霰天神山

霰天神山(あられてんじんやま)

火除けの天神様 高さ約1mの明神鳥居の後ろに松が茂り、その奥に天神宮があります。お宮には畳が敷かれ、4cmほどの小さな天神像が安置されています。この天神像は、永世年間、京の都で大火が起きたとき、突然、霰が降り注いで鎮火し、その霰とともに降ってきたと伝えられています。
その後、宝永の大火、天明の大火でも焼けたことがなく、火除けの神様として信仰されています。

所在地 京都市中京区綾小路通室町西入天神山町
山建て 7月13日 8:00
授与品 厄除け粽、天神御影御守、火乃要鎮神札など

白楽天山

▲白楽天山の宵山

白楽天山(はくらくてんやま)

詩人、白楽天 日本でも馴染み深い唐の詩人、白楽天と、道林(どうりん)禅師が立っています。白楽天が杭州の刺史として赴任した際、道林の元を訪ねて仏法の大意を聞いたところ、「諸悪作すことなかれ、衆善奉行せよ」と答えた話が描かれています。

所在地 京都市下京区室町通綾小路下ル白楽天町
山建て 7月13日 9:00
授与品 粽(学業成就御守つき)、合格手形絵馬など

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芦刈山(あしかりやま)

翁の人形 謡曲「芦刈」をモチーフとした翁の姿の御神体人形が乗ります。古くは1537(天文6)年に七条仏師、康運(こううん)の作でしたが、現在は江戸時代につくられた模品を使用しています。
背景には真の雄松を立て、金色の三日月を掛けます。また、芦花が正面に7本、両側面に9本立ち、芦原に立つ情景を演出します。

謡曲「芦刈」 難波に住む貧しい老夫婦が離縁します。3年後、元妻は生活に困らなくなり、気になって元夫を探しに行き、芦を売る男と出会います。
男は貧しいままで、「君なくて あしかりけりと 思ふにも いとど難波の 浦ぞ 住み憂き」と和歌を詠み、女は「悪しからじ 善からんとてぞ 別れにし 何か難波の浦ぞ 住み憂き」と返します。
夫婦が再開し、再縁を結ぶハッピーエンドの物語です。

大きさ 総重量約1.2t、高さ約5m、長さ4.04m、横幅2.3m
所在地 京都市下京区綾小路通西洞院西入芦刈山町
山建て 7月12日 3:30
授与品 粽(夫婦和合・縁結び)、手拭い、扇子など

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占出山(うらでやま)

神功皇后の像が御神体 朱傘をさした神功皇后の像が座っています。右手に釣竿を持ち、左手に鮎を持っています。これは神功皇后が新羅出兵に際して、肥前(佐賀県)の松浦で釣りをして、戦勝を占った故事が元になっています。
なお、朱傘を最初に使ったのはこの占出山であると言われています。

所在地 京都市中京区綾小路通烏丸西入占出山町
山建て 7月13日
授与品 粽、腹帯、安産御守など

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綾傘鉾(あやがさほこ)

金鶏の像 仙女が舞う綾傘の上に金色の鶏が立っています。よく見ると、右足に卵をつかんでいます。山は2基あり、2基目の鉾には、白幣と松が立っています。風流な鉾です。

稚児 正副6人の稚児が巡行に加わり、鉾を先導します。

棒振り踊り 赤熊(しゃぐま)をかぶり、面をつけた締太鼓たちが踊りを披露します。今宮神社のやすらい祭や上賀茂神社の幸在(さんやれ)祭などに見られる風流傘の系譜を引く、貴重な踊りです。

所在地 京都市下京区綾小路通室町西入善長寺町
鉾建て 7月14日 10:00
授与品 粽、扇子など

後祭(7月24日巡行)の山鉾

※後祭には、蛸薬師通以北の山鉾が参加します。ただし、南観音山については、蛸薬師通より南にありますが、北観音山と仲がよく、長い歴史上、助け合いながら運営してきたことを考慮して、後祭に参加することになっています。
後祭の役割は、にぎやかに催された前祭の興奮を鎮め、落ち着いた日常へもどしていくこと。町内に立つの高張り提灯に灯がともされ、趣向を凝らした「会所飾り」が美しく輝きます。
後祭には露店は出ません。静かで清らかな宵山行事となっているのは、それが本来の神事の姿だからです。とは言え、多くの学校で夏休みにあたるため、後祭のにぎわいは相当なものです。

北観音山

▲北観音山

北観音山(きたかんのんやま)

楊柳(ようりゅう)観音像をまつる 大屋根の下に、病苦から人々を救う楊柳観音や、足が速いことで有名な韋駄天の像などが飾られています。ほかの山鉾の多くが神話や謡曲をテーマとするのに対し、北観音山は仏教説話に基づいています。
南観音山もあり、応仁の乱以前から仲がよく、協力してきました。後祭では北観音山が先頭を、南観音山がしんがりを務めます。

所在地 中京区新町通六角下ル六角町
山建て 7月12日
曳き始め 7月13日 15:00(一般搭乗は招待客のみ)
授与品 なし

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南観音山(みなみかんのんやま)

北観音山とともに楊柳観音をまつる 大屋根の上に真松が飾られ、屋内に楊柳観音や善財童子の人形が置かれています。
善財童子はインドの長者の家に生まれ、文殊菩薩の勧めにより善知識(優れた指導者)53人を訪ね歩き、普賢菩薩の元で悟りを開いたと言われています。

所在地 京都市中京区新町通蛸薬師下ル百足屋町
山建て 7月12〜13日
曳き始め 7月13日 15:00(一般搭乗は14日 10:00から)
授与品 粽、扇子、手拭いなど

橋弁慶山

▲橋弁慶山

橋弁慶山(はしべんけいやま)

牛若丸と弁慶 歴史上の実在の人物で、さまざま物語に脚色された源義経(牛若丸)と弁慶の出会いのようすを描いています。刀を1000本集めようとして、999本まで集めた弁慶が、京の五条の橋の上で牛若丸を襲い、牛若丸がヒラリヒラリとかわして、弁慶をやっつける場面です。

所在地 京都市中京区蛸薬師通烏丸西入橋弁慶山町
山建て 7月14日
授与品 粽、力縄、扇子など

役行者山

▲役行者山

役行者山(えんのぎょうじゃやま)

歴史に名高い修験者 日本史上最高の修験者のひとりとされる役小角(えんのおづね)が白ひげを生やした老翁の姿で座っています。向かって左側に一言主神(ひとことぬしのかみ)、右側に葛城神(かつらぎしん)が立っています。役小角が、修行をする人々のために、大峰山と葛城山の間に箸をかけようとして、神々に協力を求めたという話に基づいています。

所在地 中京区室町通三条上ル役行者町
山建て 7月13日 8:00
授与品 粽、厄除け御守、安産御守など

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鯉山(こいやま)

左甚五郎の鯉 日光東照宮の「眠り猫」などの名作で知られる江戸時代初期の彫刻家、左甚五郎がつくったとされる鯉の彫刻が置かれています。鯉の前には鳥居が、後ろには滝があります。近くに寄らないと読めませんが、鳥居には「八坂神社」と書かれた額がついています。滝を上った鯉は龍になると言われ、勢いがあり、縁起のよい山です。

大きさ 総重量1.5t、高さ6m、長さ5.5m、横幅2.3m
所在地 京都市中京区室町通六角下ル鯉山町
山建て 7月12日 9:00
授与品 粽、立身出世御守など

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八幡山(はちまんやま)

八幡神をまつる 山町である三条町の町内にまつってある八幡宮の神霊を招いた、小さなお宮が置いてあります。お宮は金箔でおおわれ、豪華です。鳥居には、左甚五郎の作と伝えられる雌雄の鳩がおり、夫婦和合の象徴として人気があります。ほかの山や鉾と違い、特定の場面設定はありません。

所在地 京都市中京区新町通三条下ル三条町
山建て 7月13日 15:00
授与品 粽、鳩笛(夜泣き封じ)など

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鈴鹿山(すずかやま)

鬼退治をした女神 瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)は、鈴鹿峠で通行人を襲っていた鬼を退治した女神で、鈴鹿明神と呼ばれます。像は高さ174cmあり、立烏帽子をかぶっています。能に描かれた源義経の妻、静御前をモデルにしたのではないかと推測されています。
前掛にはラクダが描かれています。これは1989(平成元)年に「黄砂の道」という題して新調されたものです。

所在地 京都市中京区烏丸通三条上ル場之町
山建て 7月13日 9:00<
授与品 粽、厄除け安産御守、鈴鹿神影護符(盗難除け)など

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黒主山(くろぬしやま)

大伴黒主の像 謡曲「志賀」をもとに、平安時代の六歌仙のひとり、大伴黒主の人形を飾ってあるとされています。ただし、西行ではないかという説もあります。背景の桜と松が美しい、華のある山です。
前年に飾った桜花は粽にも使われ、悪事除けとして人気があります。

所在地 京都市中京区室町通三条下ル烏帽子屋町
山建て 7月12日 9:00
授与品 粽、団扇、手拭いなど

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浄妙山(じょうみょうやま)

豪僧、筒井浄妙の戦いを描く 三井寺の僧侶で強い武者でもあった筒井浄妙が、宇治橋の上で平知盛(たいらのとももり)の軍勢をひとりで防ぎつつ、先陣を切ろうとしている姿を描いています。背景には柳が飾られ、矢が何本も刺さっています。
筒井浄妙の上には一来(いちき)法師がいます。筒井浄妙の頭に手をかけて、ヒラリと飛び越えたようすです。

所在地 京都市中京区六角通烏丸西入骨屋町
山建て 7月13日 10:00
授与品 粽、勝守りなど

大船鉾

▲大船鉾

大船鉾(おおふねぼこ)

凱旋の船鉾 「日本書紀」に登場する神功皇后を安産の神として祭り、1422(応永29)年に建立されました。幕末の1864(元治元)年、蛤御門の変で焼失するまでは、行列のしんがりを飾っていました。 前祭の船鉾が「出陣船鉾」と称されるのに対し、勝利して帰ってきた船鉾という意味で、「凱旋(がいせん)船鉾」と呼ばれています。 焼け残っていた前掛けや後ろ掛け、水引など250点の懸装品を受け継いで、2014(平成26)年から復興しました。

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