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戦乱や大火などの苦難を乗り越えてきた祇園祭

御霊会

祇園祭を執り行なう八坂神社は、古くは祇園社といました。その歴史は、976(貞観8)年、牛頭天王(ごずてんのう)の神霊を招いたのに始まるとされています。
牛頭天王は疫病を司るインドの祇園精舎の守護神で、朝鮮半島の牛頭山を経て、日本神話の破壊神、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と習合していったようです。強い神をあがめることで、平穏無事を祈ったと思われます。

祇園祭は869(貞観11)年6月7日、卜部日良麻呂(うらべのひらまろ)が天皇から勅命を受け、国の数である66国に合わせて66本の鉾を立てて、14日には神輿を神泉苑に送り、疫病退散の祈願を行ったのに始まるとされます。
当時、疫病の流行は怨霊によると考えられていました。そして、その怨霊は歌舞や演芸、相撲や騎射などを奉納することで鎮めることができるとされ、祭りには一般民衆の参加も許されました。

祭りは神様が民衆の所へお出ましになる神幸祭と、神泉苑で疫病退散の祭りをしてお帰りになる還幸祭の2つから成っていました。これが前祭と後祭の起源です。
室町時代になると、これに神様が通る露払いとして山鉾巡行が加わり、58基の山鉾が参加した記録もあります。
しかし、山鉾巡行は応仁の乱で約20年も中断してしまいます。それでも、1500(明応9)年には復活して、前祭26基、後祭10基が参加した記録が残っています。

江戸時代に入ると、山鉾巡行は益々さかんになりました。1757(宝暦7)年に刊行された「山鉾由来記」によると、江戸中期の宝暦年間前後から、祭の準備の際には屏風を虫干しのために室内に置いたり、祭囃子の練習をしたり、今と同じようなことをしていたようです。

ただし、長い歴史のうちには不運もあり、山鉾町は江戸時代を通じて、3度の大火災を経験しました。
【宝永の大火】1708(宝永5)年3月8日、油小路通姉小路から出火し、364町約1万戸が焼けました。後祭の山鉾町が大きな被害を受けました。
【天明の大火】1788(天明8)年1月30日、宮川町団栗橋のたもとから出火。北は船岡山、南は東本願寺、西は二条城を残して千本通まで、当時の洛中をほぼ焼き尽くしました。特に前祭の山鉾町が大きな打撃を受けました。
【鉄砲焼け】1864(元治元)年7月、禁門の変によって火災が起き、3日3晩燃え続けたという記録があります。京都の民家はほとんど焼き尽くされ、1865(慶応元)年の巡行では前祭がなく、後祭の山もわずか3基でした。

1868(明治元)年、神仏分離令により祇園社はハ坂神社と改称し、氏子組織も清々講社として1875(明治8)年に再編成されました。そして、新暦の採用により、1877(明治10)年、前祭の巡行は7月17日に、後祭の巡行は24日に改められました。
日露戦争勝利後は、好景気により、活況を取り戻していきました。

戦後、先祭と後祭を統合し、2014年に元の形へ。

第二次世界大戦が終了すると、翌1946(昭和21)年、ハ坂神社境内で祇園囃子の奉納が行われました。さらに1947(昭和22)年には、長刀鉾が四条鳥丸一四条寺町間を往復しました。このとき、月鉾は置鉾でしたが、巡行と宵山に延べ40万人が集まったと報じられています。

1949(昭和24)年、行列の順番を決める「繭(くじ)取り式」を挙行しました。

11950(昭和25)年、総勢26基となり、後祭が復活しました。

11952(昭和27)年、29基が復活しました。

※この頃の巡行コースは、17日の前祭は四条鳥丸一四条寺町一寺町松原一松原東洞院。
24日の後祭は三条鳥丸一三条寺町一四条寺町一四集束洞院。

1956(昭和31)年、前祭の巡行が、寺町通を北上して御地通に出るようになりました。御地通に初めて有料観覧席を設置しました。

11961(昭和36)年、寺町通北上は、河原町通北上に変更されました。

11962(昭和37)年、山鉾が重要文化財に指定されました。

1966(昭和41)年、前祭と後祭を合同で行うようになりました。本来は神様が民衆の所へ姿を現わす神幸祭に前祭を、疫病退散の祭りをして神泉苑から八坂神社へ帰る還幸祭に後祭を合わせて、前後2回行っていましたが、本来の神事からは離れた形となってしまいました。これは観光振興によいと判断されたためですが、後々いろいろな問題を引き起こすことになります。
また、後祭の日に花傘巡行が行われるようになりました。

祇園祭

▲祇園祭

1978(昭和53)年、山鉾行事が重要無形民俗文化財に指定されました。

2014(平成26)年、前祭と後祭が復活しました。前祭と後祭を併せる従来のやり方では、行列が長すぎて、巡行に時間がかかり過ぎること、宵山に人が集中して事故につながりかねないこと、将来の世代には本来の形で受け継いでいくのが望ましいことなどが、その理由です。ここで、祇園祭はようやく元の形を取りもどしました。

祇園祭は今後も、1000年先、2000年先という遠い未来へ向けて、受け継がれていくことでしょう。

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