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古代の豪族・賀茂氏が建てた、上賀茂神社と下鴨神社。

葵祭の斎王代・女人列

▲葵祭の斎王代・女人列

葵祭は古代の豪族、賀茂氏の祭りに起源を発する、京都最古の祭りのひとつです。

賀茂氏が日本史に登場するのはとても古く、奈良時代の文献『山城国風土記』によると、神武天皇が東征を行なったとき、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が現れて、大和国へ先導したとされます。

この記述は、『古事記』や『日本書紀』に「八咫烏(やたがらす)が神武天皇の道案内をした」と書かれていることに似ていることから、八咫烏とは賀茂建角身命のことだと比定する考えもあります。
賀茂氏とは、そんな神話と有史の境目くらいの時代から、畿内にいた氏族です。

賀茂建角身命は丹波国から妻をめとり、玉依日子(たまよりひこ)と玉依日売(たまよりひめ)が生まれました。
ある日、玉依日売が賀茂川の支流である瀬見の小川で遊んでいると、川上から丹塗りの矢が慣れてきました。これを床に置いて寝たところ懐妊し、賀茂別雷命(かもわけのいかづちのみこと)が生まれました。
賀茂別雷命は雷神でした。稲光とともに天空を駆け、轟音とともに地上に落ちて巨木を引き裂く怖ろしい神であるとともに、五穀豊穣をもたらす豊かな自然神です。

文献や言い伝えからは、賀茂氏が近隣の豪族と婚姻関係を深めながら賀茂川流域に勢力を広げていくうちに、恵みをもたらす水神や雷神などの自然神と賀茂氏の祖先神を結びつけていった様子が浮かび上がってきます。

賀茂建角身命は、社殿を立てさせました。当初の場所や規模を示す具体的な手がかりは見当たりませんが、現在の場所からそう遠くないところにあったと推定されています。

賀茂氏の祖先たちは、次の社で神としてまつられています。
下鴨神社・西殿:賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
下鴨神社・東殿:玉依日命(玉依日売/たまよりひめ)
上賀茂神社本殿:賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)

馬を走らせて雷神に五穀豊穣を願ったのが、葵祭の始まり

欽明(きんめい)天皇の時代(540〜571)、国中が暴風雨に襲われ、人々が水害に苦しんだことがありました。卜部に占わせたところ、「賀茂神の祟りだ」と出ました。このとき、賀茂氏が4月の吉日を選んで馬に鈴をつけて走らせたところ、再び五穀が豊かに実りました。

この頃の4月は現在の5月くらいかと思われます。野菜の種をまいたり、水田の準備を行ったりする時期ですから、適度な雨と水が不可欠です。
賀茂氏の玉依日命は水神、賀茂別雷命は雷神にあたるので、その祟りを鎮めて加護を仰ぐために、雷獣とされていた猪の頭をかぶり、鈴を馬に取りつけて走ることになりました。

幸い儀式は成功し、五穀は豊かに実りました。それから例祭とされて、毎年行われるようになりました。
馬を走らせたのは、稲妻を象ったとも、玉依日命が賀茂別雷命を身籠もる元になった丹塗りの矢を象ったとも言われます。
また、馬に鈴をつけたのは、雷鳴と同じように激しい音を出すことで、神に願いを届けようとしたと考えられます。

走り馬の祭儀は平安京遷都後の807(大同2)年に天皇の勅祭とされ、810(弘仁元)年に神への供物を上賀茂・下鴨の両社に奉納する行列が組まれるようになりました。それが次第に発展して、江戸時代に賀茂神社の神紋の葵にちなみ、「葵祭」と呼ばれるようになったのです。

葵祭がどこか深いところで心の琴線に触れるのは、現代の日本人もまた、素朴な自然神信仰を受け継いでいるためかもしれません。

【関連するページ】
上賀茂神社
下鴨神社

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