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小野小町と深草少将の恋の舞台となったお寺

随心院

▲随心院

随心院は、平安時代中期の991(正暦)2年、僧侶の仁海が創建し、曼荼羅(まんだら)寺と称したことに始まるお寺です。 仁海は天皇の勅願により、生涯に9回、請雨経法の修法を行い、雨を降らせたことから雨僧正と呼ばれた人物で、一条天皇から寺地を下賜され、曼荼羅寺を建てました。

曼荼羅寺の周辺は、豪族・小野氏の勢力圏でした。聖徳太子の頃、遣隋使を務めた小野妹子をはじめ、平安時代には書家の小野東風などを出した一族です。 そのひとりに、平安朝きっての才色兼備の女性として名高い小野小町がいます。

小野小町は数多くの恋歌を残して、三十六歌仙のひとりに数えられます。紀貫之は、「あはれなるようにて強からず、いはばよき女の悩めるところあるに似たり」と、そのようすを記しています(『古今集』序)。

数多い伝説の中で最も有名なものは、深草少将の悲恋の物語でしょう。

小野小町は30代で宮仕えを辞し、小野の地に帰りました。しかし、世間は放っておいてくれませんでした。 とくに小町の歌のすばらしさと美しさに魅せられていた深草少将は小町に恋心を告げ、「あなたの心が溶けるまで、百夜通います」と言って、門前にカヤの実をひとつ置いて帰りました。

小野小町99日目の夜は、雪でした。深草少将はやっとのことでたどり着いたものの、99個目のカヤの実を握りしめたまま、息絶えました。
小野小町は少将の訪れた日数をカヤの実で数えていましたが、その死を嘆いて、悲恋の貴公子が通った道すがら、99個のカヤの実を植えたといわれています。

ただし、随心院に伝わる話では、99日目の夜は雪だったので、深草少将は代役を立て、それがバレてフラれてしまったことになっています。悲話がコメディになってしまいましたが、これはこれで、よいでしょう。

曼陀羅寺では、第5世の増・俊阿闍梨のときに、子院として隨心院を建立しましたが、その際、小野小町の邸宅跡が使われたと言い伝えられています。それが事実であれば、小町と深草少将の物語はまさにこの随心院で繰り広げられたことになります。
しかし、今日の随心院には、そんな面影はありません。うららかな陽の光が射し込み、穏やかな面影でたたずんでいます。 ちなみに、平安時代の建物は応仁の乱で焼失し、現在の建物は1599(慶長4)年に再建されたものです。

随心院は、春には梅やシャクナゲが咲き、梅雨には大杉苔が青々と茂り、秋には紅葉に彩られます。 なかでも、はねず(薄紅)色の梅が咲く頃、小野小町と深草少将を偲んで行われる、可愛らしい「はねず踊り」は、よく知られています。

そんな随心院を訪れると、お寺の方から「ようお参りでした」と声を掛けられます。それは、ここが観光名所ではなく、お寺であることに気づいてほしいからであり、人々を救いたいという思いが形になったものでもあります。

ぜひ、「ありがとうございました」とご返事をして、帰りたいものです。

梅とウグイス

▲梅とウグイス

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随心院

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