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後醍醐天皇をまつる、嵐山の世界文化遺産

曹源地庭園

▲曹源地庭園

名勝嵐山・嵯峨野の表玄関に立地

天龍寺は、臨済宗天龍寺派の大本山です。寺格は高く、室町幕府初代将軍・足利尊氏によって、1339(暦応2)年に創建され、第3代将軍・足利義満によって京都五山第1位に叙せられました。

また、1994(平成6)年には「古都京都の文化財」のひとつとして、ユネスコの世界文化遺産に指定されました。

嵐山の渡月橋の近くという人気観光地の表玄関に位置し、周辺には食事処や甘味処、土産物の店も集まって、いつも多くの観光客でにぎわっています。

後醍醐天皇の供養のために

天龍寺創建のきっかけとなったのは、後醍醐天皇です。
後醍醐天皇は高貴な生まれにかかわらず、政治的な野心がさかんで、鎌倉幕府の成立以来、武家に奪われた政治権力を奪還しようと考えました。いったんは計画が鎌倉幕府に露見して、1332(元弘2)年に隠岐へ流されたものの、脱出して武士たちに挙兵を呼び掛け、これに応えた新田義貞により、1333(元弘3)年、鎌倉幕府は滅亡。翌1334(建武元)年、自ら政治を始めました。世に言う「建武の新政」です。

ただ、すでに武士の時代になっているのに天皇が政治を行うというのは、現実に合っているとは言い難く、武士たちの心は離れ、わずか3年後に足利尊氏によって政権は覆えされてしまいました。
そして、後醍醐天皇は奈良の吉野に逃れて南朝を建てたものの、1339年に崩御されました。

この後醍醐天皇の供養のために、足利尊氏が高僧・夢窓疎石の勧めを受けて建てたお寺が天龍寺です。

美しい庭園が完成し、子院も増えて繁栄

「天龍寺船」で資金を捻出

天龍寺の建設は、資金不足のために難航しました。
足利尊氏や光厳上皇が荘園を寄進しても、まだ5000貫文ほど足りません。今日のお金で10億円を超える巨額です。

事態を打開させるため、夢窓疎石は尊氏の弟の足利直義にはかり、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することにしました。

天龍寺のしだれ桜

▲天龍寺のしだれ桜

そして、博多の商人にゆだね、「利益が多くても少なくても5000貫文を納める」と約束させました。この船を天龍寺船といい、のちの勘合貿易の先駆けとなります。
これでようやく計画が進んで、1345(貞和元)年8月、後醍醐天皇の7周忌法要とともに、開堂大供養を行うことができました。

完成した寺は山号を霊亀山と称し、光厳上皇から暦応資聖禅寺(れきおうしせいぜんじ)の名を受けました。ただし、延暦寺から文句がついたため、別の名に変えることになりました。その際、足利直義が夢に見た金龍・銀龍にあやかって、天龍資聖禅寺とされました。

夢窓疎石が才能をふるった美しい庭

夢窓疎石は作庭の才能があり、曹源地庭園と呼ばれる見事な庭をつくり上げました。曹源池の名前は、池の泥をさらっているとき、「曹源一滴」と記された石を見つけたことによります。「曹源一滴」とは、すべての源という意味です。曹源地庭園は現代に至り、国の史跡・特別名勝第1号に指定されています。

曹源地庭園

▲曹源地庭園

夢窓疎石亡きあと、天龍寺は2世・春屋妙葩(しゅんおくみょうは)に受け継がれました。春屋妙葩は相国寺の開山ともなった高僧であり、火災が起きたときは、全力で復興にあたりました。
夢窓疎石の弟子にはほかに五山文学の双璧と称される義堂周信(ぎどうしゅうしん)と絶海中津(ぜっかいちゅうしん)などもおり、天龍寺は朝廷からの尊崇を受けて栄えました。

塔頭(子院)も多く、全盛時には百数十を超えたと言われています。現代でも、世界文化遺産の西芳寺(苔寺)、春と秋に特別公開されて新緑や紅葉の名所と名高い宝厳院、夢窓疎石の代表的な頂相を寺宝とする妙智院、足利義持の絹本著色画像を有する慈済院など10寺余りが残っています。

火災と復興を繰り返した天龍寺

歴史上8回も焼けて

ただし、天龍寺は火災が多く、歴史上8回も焼けており、その度に復興されて今に至ります。支援した人物の中には、豊臣秀吉や徳川家康などもいます。

最後の火災は、幕末の1864 (元治元)年です。
天龍寺は蛤御門の変で長州勢の宿舎となったため、薩摩藩の恨みを買いました。薩摩藩士の村田新八が天龍寺に大砲を向けたので、時の管長・滴水禅師は「山を焼くなら、まず自分を撃ち殺してからにせよ」と言って、立ちはだかりました。

秋の天龍寺

▲秋の天龍寺

村田新八は「それでは大義名分が立たない。空砲を打つだけだ」と答えました。
ところが本当は実弾が込めてあり、全山が焼かれてしまいました。滴水禅師はかろうじて、開山の夢窓疎石の像を背負って、近くの竹やぶへ逃れました。

このとき持ち出された夢窓疎石の像は、まるで本当に魂がこもっているような面持ちで、私たちを見ています。
また、今、私たちが目にする建物の多くは明治時代に再建されたものですが、それでも「古都京都の文化財」のひとつとして、世界文化遺産に登録されています。

自由な風が通っていくのが魅力の天龍寺

庭の価値は、見る者の心の持ちようにあり!

曹源池を中心とする庭園は、建物の中から眺めてもよし、中を歩いてもよし。
天龍寺のお坊さんは「この庭は夜に眺めるとよい」と言います。庭は禅僧にとっては修行の場。夜、座禅を組むと、闇の中から石組みや草花が輝き出すそうです。

天龍寺の魅力は、寺格の高いお寺であるにもかかわらず、構えた姿勢や尊大な雰囲気が全くなく、風が通っていくような自由な雰囲気があること。

冬の天龍寺、多宝殿

▲冬の天龍寺、多宝殿

夢窓疎石は「庭の価値は山水にではなく、見る者の心の持ちようにある」にあると言いました。
庭と対しながら、己れと向き合い、無の境地に至る。
天龍寺の自由で清々しい雰囲気は、精神の浄化を求めた夢窓疎石の心の写しであり、その心を受け継いできた禅僧たちの心そのものであると言えるでしょう

【天龍寺を含む京都観光コースガイド】

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【公式ホームページ】

天龍寺

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