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隠棲した武士が、悠々自適の第二の人生を過ごした住まい

詩仙堂

▲詩仙堂

詩仙堂は、江戸時代初期の漢詩人で書家の石川丈山(じょうざん)が1640(寛永17)年に建てて、晩年の31年間を過ごした住まいです。現在は禅宗の一派、曹洞宗の寺院となっており、国の史跡に指定されています。

作庭に山の斜面を利用していることから、かつては「でこぼこした土地のなかの住居」という意味で、凹凸窠(おうとつか)といいました。

しかし、李白や杜甫ら漢、晋、宋、唐の36人の詩人を、平安時代の三十六歌仙にならって「三十六詩仙」として選び、部屋の四方の長押(なげし)の上に額を掲げたことから、詩仙堂と呼ばれるようになっていきました。
肖像画は狩野派の画家・狩野探幽が描き、題詩の首句は石川丈山が書いたもので、部屋は「詩仙の間」と呼ばれています。

軽い上り坂の道を上がって、詩仙堂に着くと、竹でつくられた閑寂な趣の山門小有洞(しょうゆうどう)が迎えてくれます。石段を上って老梅関という入り口を入ります。かつてここに老梅数珠がありました。入り口の屋根はわらぶきで狭く、それが逆に隠れ家的な期待感をふくらませます。

建物は瓦ぶきの平屋建てで、1748(寛永元)年と1967(昭和42)年に改修されたものの、往時の姿を留めていると言われています。
中に上がると、「詩仙の間」や読書室の猟芸巣(至楽巣)、侍童が将来淵に躍る鯉のようになるようにという意味を込めた「躍淵軒」などの部屋があります。

庭は白砂を海に、サツキの刈り込みを山に、滝からの水を川に見立て、池には石が美しく配されて、背景の紅梅や桜、紅葉などと溶け込み、一幅の山水画のように見えます。
時折、鹿威し(ししおどし)のカンという音が響きます。これは流れる水が竹筒に溜まり、その重みで反転して石にあたって音を立てるもので、石川丈山が最初に考案したとも言われます。
庭では春夏秋冬の季節ごとに花が咲き、美しい緑が繁り、紅葉が赤く彩り、雪が白くおおいます。

詩仙堂をつくった石川丈山は、徳川家康に近い侍として数々の武勲を立てた三河武士でした。しかし、大阪夏の陣で軍律を犯して先駆けをして罰を受け、それを機会に鎧を脱いで京へ来ました。
そして、一時、安芸の浅野家に仕官したものの、戦いを主とする武士の身分を捨て、母親の死後、1641(寛永18)年に、洛北のこの地に終の棲家を求めました。59歳のときでした。

その後は儒学者の藤原惺窩(せいか)に学び、禅や漢詩、書画や朱子学などの学問を楽しみ、教養人の友人たちと交流し、悠々自適の第二の人生を送って、90歳で没するまでの約30年間を詩仙堂で過ごしました。作庭家としても才能を発揮し、詩仙堂のほかに修学院離宮や渉成園などをつくったことで知られています。

詩仙堂の建物・庭・池は大き過ぎず、広過ぎず、狭くもなく、見事にちょうどよいサイズでしつらえられています。そして、龍安寺の石庭のように哲学めいてもおらず、自然体で居ることができます。

秋の詩仙堂

▲秋の詩仙堂

閑にして雅。艶にして朴。

縁側には涼やかな風が通り、静かな時間が過ぎていきます。長く座っている人もおり、西洋人の旅人が、黙って庭を見つめていたりします。これが詩仙堂の真の魅力です。

【詩仙堂を含む京都観光コースガイド】

詩仙堂と比叡山麓の名庭

【公式ホームページ】

詩仙堂

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