余白

京都大原の風光明媚なお寺

往生極楽院

▲往生極楽院

三千院は大原を代表する観光スポットです。天台宗の寺で、山号は魚山(ぎょさん)といいます。
大原では、寺々の多くが同じ方面に集まっています。バスターミナルから、呂川(ろせん)の細いきれいな流れに沿って、土産物屋の並ぶ道を上がっていくと、最初に着くのが三千院です。

三千院は、昭和のヒット曲「女ひとり」(作詞: 永六輔、作曲:いずみたく)で、「京都大原三千院♪ 恋に疲れた女が一人。結城に潮風のすがきの帯が池の水面に揺れていた〜♪」と歌われたことでも知られています。
この歌がきっかけになったのか、元々女性を引きつける何かがあるのか、訪れる女性が多いお寺です。ただし、女性との縁が深いのは昭和に始まったことではなく、平安の昔からでした。

平安時代の初め、伝教大師最澄は、唐から天台の教えをもたらしたとき、いっしょに声明(しょうみょう)を伝えました。声明とは経文や真言に旋律抑揚をつけて唱える仏教声楽曲です。
その後、比叡山の慈覚大師円仁が、唐にわたって五台山で声明を学び、比叡山の北に位置する大原が五台山に似ていることから、声明の修験道場としました。
そして、比叡山延暦寺は智力に自信を持つ学問僧たちが議論を戦わせる学問道場となり、やがて鎌倉仏教を産んだのに対し、美しい声明の響く大原は、現生で生きることに疲れ、仏に救いを求める人々が、静かに余生を送る里となっていきました。 とくに三千院は女人を受け入れたため、仏門を志す女性たちの祈りの場となったのです。
夫の高松中納言真衡を29歳の若さで亡くした真如房尼(しんにょぼうに)などは、常行堂である往生極楽院を建てて、90日間休まずに、ひたすら念仏を唱えながら仏の周りをまわる「不眠不臥」の行を行ったことで知られています。

大原にこもった人々には、ほかに文徳天皇の第一皇子でありながら皇位継承争いに敗れた惟喬(これたか)親王、平清盛の娘で壇ノ浦に沈んだ安徳天皇の母である建礼門院、歌人の西行などがいます。建礼門院が晩年を送った寂光院は、大原のバスターミナルを降りて、三千院とは反対の方向に今でも建っています。

三千院の門をくぐり、中に入ると、苔におおわれた緑豊かな美しい庭園が広がっています。桜、ツツジ、アジサイ、シャクナゲなど季節ごとに美しい花で彩られる境内路を歩けば、真っ直ぐな杉木立の中、往生極楽院が静かに佇み、小高い丘の上に金色不動堂がその美しい姿を現わします。苔の間からは、小さなお地蔵様が顔を出しています。
通り過ぎる人影はまばらで、時折、小鳥のさえずりや、歌のような声明が聞こえてきます。

わらべ地蔵

▲わらべ地蔵

三千院で耳にするのは、円仁によってもたらされた天台声明です。天台声明は真言声明と並んで声明の最高峰とされ、のちには浄瑠璃や長唄にも取り入れられました。多宗派の声明に比べるとゆったりとしており、「ねむり節」とも呼ばれます。大原を流れる呂川・律川(りつせん)のせせらぎや、山里の澄み切った空気の中で育まれた、美しい声楽です。

毎年5月30日、三千院では大原で最大の声明行事「御懺法講(おせんぼうこう)」が行われます。法会は雅楽が奏されて始まり、比叡山の僧侶も多数参列して声明を唱え、聖なる蓮の花を象った色紙を床にまきながら、壇をめぐります。
この法会は天皇が国民の罪や穢れを祓う大きなもので、明治時代初年の廃仏毀釈まで、京都御所で行われていました。その際、三千院の門主が導師を務めた縁で、場を三千院に移して受け継がれています。

歴史ある天台声明を受け継ぐ、京都の中でもとびきり美しいお寺、それが三千院です。

棚田大原の棚田

棚田大原のバス停から三千院に至る道の途中に、棚田に出る小道があります。里山が好きな人は寄ってみてください。稲が風に吹かれ、畦道にはレンゲ・たんぽぽ・ユリ・ヒガンバナなど季節の花が咲き、お地蔵様もあって、里山の雰囲気を味わうことができます。
漬物屋「志ば久」の近くから小径を登ると、すぐです。

【三千院を含む京都観光コースガイド】

大原ー三千院とその周辺の美しい名所

【公式ホームページ】

三千院

楽天トラベル

風の旅TOP(全国)

余白 京都観光コース 京都のお寺と神社 京都の祭り 京都の桜 京都の紅葉 京都のホタル 京のことの葉
余白 風の旅 京都観光街めぐり 京都のお寺と神社