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新撰組と縁の深いお寺

近藤勇の像

▲近藤勇の像

壬生寺は、幕末の時代、新選組の兵法調練場とされたお寺です。局長の近藤勇の像が建立され、新選組隊士の墓もあり、新選組ファンにとって、聖地のような存在となっています。

新撰組は京都で反幕府勢力を取り締まり、江戸幕府の体制を守る活動に従事していました。その中核は現在の東京多摩地区にあった天然理心流の「近藤道場」に集まった浪士たち。必ずしも武家の出身ではなく、下級武士や百姓、町人などから成っていましたが、徳川幕府に認められて、将軍の守護と警察活動にあたりました。
その浪士たちの屯所の近くにあり、剣や砲術の訓練場とされたのが壬生寺です。

新撰組には剣技に長けた者が集まっており、人々から怖れられていました。開明的な考え方を持つ、いわゆる「維新の志士たち」も、数多くが新撰組によって殺害されています。見方によっては、時代の流れに逆行した、時代錯誤の集団に過ぎないと言えます。

にもかかわらず、多くのファンがいるのは、なぜでしょうか?
それは、やはり滅びゆく徳川家のために身を呈して戦った侠気や誠実さといった、人間にとってとても大切な心意気を、彼らが持っていたからでしょう。

名刀「虎徹」を携えて、鍛え抜いた豪剣を振るった近藤勇。
新選組を鉄の規律によって、風のように動く組織に育て上げた土方歳三。
どんな鋭い攻撃も難なくかわして、多くの敵を切った天才剣士沖田総司
滅びゆく徳川幕府に忠誠を誓って戦った彼らは、揺らぎない「誠」を貫いた男たちとして強い輝きを放ち、人を惹きつけて止みません。

実際、彼らがどれほど強かったのか?
司馬遼太郎の『燃えよ剣』によれば、生き残った三番隊長、斉藤一はのちに警視庁に勤務する警視官(警察官)となりましたが、剣術の練習の際、四段、五段の使い手たちが集団でかかっても、小手ひとつ擦らせなかったといいます。余程のものだったのでしょう。

庶民の支持を受けてきた、地蔵信仰の霊場

新撰組のイメージの強い壬生寺ですが、実は平安時代前期から続く、古い歴史のあるお寺です。
「壬生」という地名は「水が湧き出る地」という意味で、平安時代には壬生周辺はジメジメした低湿地でした。人々は盛り土をして住まいを築き、水と戦いながら暮らしていました。壬生寺はこうした低湿地の中心に創建され、延命地蔵菩薩を本尊として、地蔵信仰の霊場となりました。

地蔵菩薩は、冥界と現世の境界に棲まう邪悪な霊を祓い、地獄に落ちた衆生を救う仏様です。そのため、お地蔵さんは全国各地の村や町の境界に安置され、民衆の間で篤く信仰され、さまざまな日本昔話でご利益をもたらす、ありがたい仏様として、ときには不心得な人間をこらしめる仏様として描かれています。

鎌倉時代後期、壬生寺は火災で焼失し、奈良の僧、円覚上人らによって再興されました。円覚上人は庶民に向けて仏の教えを説き、多くの民衆が地蔵菩薩の慈悲にすがりました。この世は疫病や飢饉、戦禍に満ちており、人々は救いを求めていました。

しかし、明治時代以降、区画整理や道路工事で、多くのお地蔵さんは行き場を失いました。そんなお地蔵さんが壬生寺に持ち込まれ、本堂南側の「千体仏塔」に安置されています。地蔵菩薩だけでなく、阿弥陀如来などの石仏もあります。
壬生寺は「新撰組のお寺」であると同時に、平安時代から続く「地蔵信仰のお寺」でもあります。

今日の壬生寺は賑やかな大通りからちょっと入った住宅地にあり、日中は保育園の子どもたちの声も響きます。老人ホームまであります。観光寺院と違って、つくられた品のよさのようなものはありません。1000年の歴史を刻む、庶民のお寺なのです。

【壬生寺を含む京都観光コースガイド】

新選組の史跡と二条城

【公式ホームページ】

壬生寺

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