余白

菅原道真の霊を慰めるためにつくられた神社

北野天満宮

▲北野天満宮

北野天満宮は、平安時代前期の学者で、政治家でもあった菅原道真をまつる神社です。全国に1万2000社ある天満宮の総本社です。

菅原道真は、父祖3代続く学者の家に生まれました。幼いころから抜群の学才を発揮し、宇多天皇や醍醐天皇からの信もあつく、右大臣にまで昇進しました。

しかし、出世をねたまれ、朝廷を支配していた藤原一族に警戒され、ライバルであった左大臣・藤原時平によって讒言(ざんげん/悪口)を受けて、大宰権師に左遷されました。
道真が京を去るときに詠んだと言われる、有名な和歌が残されています。

東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
※「春な忘れそ」は、後の時代の表記。

道真は望郷の念を抱いたまま、903(延喜3)年2月25日、大宰府で死去しました。
その後、909(延喜9)年に藤原時平が39歳という若さで急死。
930(延長8)年には清涼殿に落雷して藤原清貫や平希世らが雷に打たれたり、重度の火傷を負ったりして死亡したほか、数名の重傷者が発生。
そのほか、大火事や疫病、地震が発生するなど、不吉な出来事が続いたため、人々はこれを「菅公のたたり」として怖れました。

そんな942(天慶5)年のこと、『北野天宮縁起』によると、右京七条坊に住む多治比文子(たじひのあやこ)という童女の巫女が、「われを北野の右近の馬場に祠を構えてまつれ」とお告げを受けました。ただし、社殿を建てる財力はなかったため、自宅に小さな祠を設けて菅原道真をまつりました。

※これが縁起となって、947(天暦元)年に堂宇がつくられ、いくたびかの焼失を繰り返し、1916(大正7)年に造営された神社が「文子天満宮」として現在も建っています。

また、947(天暦元)年には近江国(滋賀県)の比良宮の神主・神良種(みわのよしたね)の子・太郎丸にも同じような神託があり、神良種は多治比文子とともに北野朝日寺の僧・最珍に相談し、現在、北野天満宮がある場所に神殿を建てました。

その後、959(天徳3)年、右大臣・藤原師輔(もろすけ)により社殿が増築され、さらに987(永延)元年には一條天皇の勅使が派遣されて、初めて北野祭が行われ、「北野天満天神」の神号が認められました。
さらに、朝廷は道真の霊を慰めるために、993(正暦4)年、正一位太政大臣の位を贈りました。

紅梅

▲紅梅

「学問の神社」として発展

北野天満宮の三光門

▲北野天満宮の三光門

こうして火雷神・疫神として始まった北野天満宮でしたが、時代を経るうちに様相が変わっていきます。

まず、桃山時代の1587(天正15)年には、九州征伐から帰った豊臣秀吉が、京・伏見から大津・奈良・大阪あたりにまで高札を立てて、茶道に関心あるものは、茶碗一つで集まるよう呼びかけたところ、貴賤貧富を問わず1500人もの人が集まり、盛大な茶会が開催されました。

その模様は「北野大茶会」として語り継がれ、これを記念して、北野天満宮では今でも2月25日の梅花祭の日に「野点(のだて)大茶湯」を行なっています。
また、1603(慶長3)年には、出雲の阿国が社殿の前で歌舞伎踊を奉納したため、北野天満宮は歌舞伎発祥の地ともなりました

江戸時代になると天満宮は「学問の神」とされ、読み・書き・算盤を教える寺子屋の多くで「天神様」としてまつられるようになりました。また、命日である25日には、道真の学徳をしのんで、手習いの上達を願う天神講も行われるようになりました。そして、格式高い神社というよりは、身近な庶民の神様となっていきました。

その原点は、やはり菅原道真が学者として卓越した人物であったからと言えます。

寺子屋に飾られた天神像

▲寺子屋に飾られた天神像

菅原道真は子どもの頃から学祭を発揮し、18歳で文章(もんじょう)生となり、33歳で学者として最高位の文章博士となりました。

文章博士とは、律令下の大学寮で詩文と歴史を教えるただひとりの教授であり、現在にたとえていえば、若くして東大の学長になったようなものです。
歌人としても優れ、『百人一首』には次の歌が収められています。

このたびは 幣(ぬさ)も取りあへず 手向(たむけ)山 紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに

「今度の旅は急のことで、道祖神に捧げる幣も用意することができませんでした。手向け山の紅葉を捧げますから、神よ、御心のままにお受け取りください」という意味です。「たび」には「今回は」と「旅」の2つの言葉が掛かっており、「手向け山」には「手向山」という山名と「手向ける」の2つの言葉が掛かっています。

北野天満宮には、道真の学才にあやかろうと、入学試験の合格を祈る参詣者が絶えません。修学旅行のコースに組み入れる生徒も数多くいます。

その一方、大宰府へ左遷されながら、死後、正一位太政大臣の位を受けたことから、冤罪を晴らす神ともなりました。鎌倉時代の書物『十訓抄(じゅっきんしょう)』などにも、「北野天満宮に祈って無実の罪を晴らした」という記述が残されています。

紅梅の梅の花が開き、香りが満ちる早春

北野天満宮が最も華やぐ季節…それは、早春です。まだ、冬の気配の残る2月、紅白の梅が花開き、春の訪れを告げます。 現代の日本人は、春の花といえば桜を思いますが、平安時代には梅でした。
平安時代の貴族の中でも、菅原道真はとくに梅を愛しました。現在も北野天満宮では、「主人なしとて春な忘れそ」という道真の言葉を守り継ぐかのように、早春になると2000本もの梅が咲き誇り、馥郁とした香りで境内を満たします。2月の梅花祭には、大勢の人が梅見に訪れます。

北野天満宮の梅

▲北野天満宮の梅

梅は花が終わるとやがて実となり、6月に塩漬けにされたのち、夏の土用に社殿前で日乾しにされます。そして、年末に「大福梅」として参詣者に授与されます(有料)。
京都では、「大福梅」は年初に初茶に入れて飲むと、その年1年、病気にならない縁起物とされ、とても人気があります。

北野天満宮といえば梅、梅といえば北野天満宮と言ってもよいくらい、北野天満宮と梅の結びつきは強いと言えるでしょう。

梅の天日干し

▲梅の天日干し 4週間ほどかけて、カラカラに干し上げるのが北野天満宮流です。甘酸っぱい梅の香りが、境内に広がります。

【公式ホームページ】

北野天満宮

楽天トラベル

風の旅TOP(全国)

余白 京都観光コース 京都のお寺と神社 京都の祭り 京都の桜 京都の紅葉 京都のホタル 京のことの葉
余白 風の旅 京都観光街めぐり 京都のお寺と神社