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白拍子、祇王の物語が残る美しいお寺

晩秋の祇王寺

▲晩秋の祇王寺

祇王寺は、奥嵯峨にある真言宗の尼寺です。山号は高松山と称します。もとは法然上人の門弟、良鎮によって創始された往生院というお寺でした。
しかし、平清盛の寵愛を受け、のちに仏御前に愛を奪われて捨てられた白拍子の祇王が、母の刀自(とじ)や妹の祇女(ぎじょ)とともに庵を結んだことにより、祇王寺と呼ばれるようになりました。

白拍子とは、白い水干(すいかん)、立烏帽子(たてえぼし)に白鞘の刀を差す男装で、平安時代に流行した今様を歌いながら舞を舞った女性のことです。

このようすは、『平家物語』に描かれています。

祇王、祇女という美しい姉妹の白拍子がいました。祇王は清盛の目に止まって寵愛を受け、姉妹と母は優雅な生活を送っていました。

あるとき清盛の館に、仏御前という白拍子がやってきました。仏御前は加賀国の白拍子で、「舞をお目にかけたい」と申し出ました。
始めのうちは「祇王がいるから、さっさと帰れ」と断わっていた清盛でしたが、祇王が取りなして会わせたところ、そのあでやかな美しさにすっかり魅了されてしまいました。そして、仏御前を館に入れて、祇王を追い出しました。

しかも、「仏御前が退屈しているから舞いを見せるように」と祇王に使者を送る始末…。
平清盛の絶大な権勢には逆らえず、屈辱と悲しみに震えながら、祇王は歌い、舞いました。どれほどくやしかったことか…。祇王は母と妹の3人で、都を捨てて出家してしまいます。

ところが、ある夜、草庵の戸をたたく音がしました。祇王が戸を開けると、そこにはなんと仏御前が立っていました。仏御前は自分が清盛の愛を奪ってしまったことを負い目と感じ続け、「いつかは自分も捨てられる」とはかなんで、祇王たちの棲む草庵を訪れたのです。

祇王は遺恨を水に流し、「恨みも嘆きもない17歳が浄土を願うとは、まことの大道心の持ち主。仏道に導く善知識。いっしょに往生を願いましょう」と、仏御前を迎え入れました。(『平家物語』より)

このとき、祇王は21歳、祇女は19歳、仏御前は17歳の若さであったそうです。 以後、4人は朝夕熱心に仏前に花香を供えて、ともに暮らし、往生の本懐を遂げたと伝えられています。

祗王寺は江戸末期以降、荒廃していましたが、1895(明治28)年、京都府知事の北垣国道氏が別荘の一棟を寄進して、画家の富岡鉄斎らの尽力で再興されました。また、昭和初期には新橋の名妓であった智照尼が祇王寺に入り、寺の整備に尽くしました。現在は、真言宗大覚寺派の尼寺となっています。

境内は苔におおわれ、樹々の緑が美しく、秋には一面の紅葉に包まれます。背の高い木々に隠れるように、かやぶきの小さな建物が立っています。閑寂で清雅な佇まいの美しいお寺です。

【祇王寺を含む京都観光コースガイド】

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【公式ホームページ】

祇王寺

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