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豊臣秀吉の「醍醐の花見」で知られる京都最大級のお寺

醍醐寺のしだれ桜

▲醍醐寺のしだれ桜

醍醐寺は、醍醐山麓に広大な寺領を持つ、真言宗醍醐派の総本山です。
その歴史は、874(貞観16)年、理源大師聖宝(しょうぼう)が山上に草庵を結び、准胝(じゅんてい)観音と如意輪(にょいりん)観音の2つの観音像を刻んだのに始まります。
ときの醍醐天皇が理源大師に帰依して、釈迦堂・薬師堂・五大堂を建造。

続いて村上天皇も五重塔を建立し、南北朝時代には足利尊氏も帰依して、山上山下を合わせて約90もの院から成る巨大寺院となりました。

室町時代後期には応仁の乱によって堂宇の多くが焼失したものの、桃山時代には豊臣秀吉の帰依を得て復旧。1598(慶長3)年、3月15日に、豊臣秀吉が大名の奥方たちを主賓として、1300人を招いて催した「醍醐の花見」はよく知られ、醍醐寺は京都を代表する桜の名所となっています。

醍醐寺は、江戸時代に入ると、徳川家康から広大な寺領を寄進され、江戸年間を通じて将軍家の保護を受けました。
「古都京都の文化財」のひとつとして、世界文化遺産に登録されています。

貴重な建物と美しい風景に恵まれた下醍醐

醍醐寺は上醍醐と下醍醐から成ります。醍醐寺の総門をくぐって、まず入るのは下醍醐です。
下醍醐の造営は平安時代前期の904(延喜4)年から始められ、926(延長4)年に釈迦堂(のち金堂)、951(天暦5)年に五重塔が建造されました。この五重塔は、現存する京都最古の建造物と言われています。
1115(永久3)年、第14世座主の勝覚が三宝院を建立。続いて、理性院・金剛王院・報恩院・無量寿院が建造され、併せて「醍醐五門跡」と呼ばれています。

五重塔

▲五重塔

五重塔の北に本尊の薬師如来坐像を安置する金堂があり、その東に5体の明王像を安置する不動堂、弘法大師空海と開山の理源大師聖宝をまつる祖師堂などがあります。
下醍醐の奥の池の側には朱塗りの美しい弁天堂があります。弁天堂は秋には紅葉の美しいポイントとなります。

清浄な気が満ちる祈りの霊峰、上醍醐

醍醐寺のうち、奥の山へ上った一帯を上醍醐といいます。上醍醐への道はかなり急で、距離もあるため、時間に十分な余裕を持って行くことが大切です。
仁王門の手前から山道を上り、渓流を渡ると成身院(女人堂)が見えてきます。昔、女性はこれより上には立ち入れなかったので、山上の准胝観音の分身がまつられています。ここから山頂の開山堂までは、約2.6km。約1時間です。醍醐寺の「丁目」表示では、上醍醐の境内まで16丁目です。

五大堂

▲五大堂

山道を歩いて行くと、やがて槍山の「豊太閤花見跡」があります。「醍醐の花見」のときには、成身院(女人堂)からこの花見場所の間に、武将たちが趣向を凝らした茶屋がたくさん設けられていました。しかし、現在の「豊太閤花見跡」はただの平地となっており、栄華の跡がしのばれます。

さらに歩くと不動の滝に至ります。8丁目にあたり、16丁目の半分を来たことになりますが、上り坂がきつくなるのは、ここからです。
頑張って歩き、16丁目の表示を過ぎると、ようやく平坦なエリアに入ります。醍醐寺の守護神・清流権現をまつる清龍宮拝殿が立っており、その横の石段を上ると、醍醐寺の名の由来となった醍醐水の祠(ほこら)があります。

醍醐水の祠の脇の石段を上ると、上醍醐の本堂である准胝堂があります。さらに進むと、上醍醐で最古の建造物の薬師堂、五大明王像をまつる五大堂、如意輪観音をまつり如意輪堂、上醍醐で最大の建物である開山堂があります。
開山堂からは、はるか遠く、宇治市や大阪市まで見渡すことができます。

【醍醐寺を含む京都観光コースガイド】

醍醐山周辺の寺々をめぐる

【公式ホームページ】

醍醐寺

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