桜と花見

桜の前で記念撮影

桜の季節が近づき、開花予報を聞くと、胸がときめきます。そうだ、京都へ行こう!
簡単に行ける距離ではないですが、そわそわしてきます。

思えば、桜は日本人にとって、なんて特別な花なのでしょう?
古来、花が早く散ってしまわないように願う、花鎮めという祭りがあるくらいです。
桜の花を見るとき、私たちはいろいろなことを思い、感じ、自分を重ね合わせます。
花見というと、過去の思い出が喚起されます。子どものころに見た夜桜。以前勤めていた会社の花見。 イギリス人のイラストレーターといっしょに楽しんだ多摩川の花見。 あいつ日本人の奥さんを捨ててアメリカへ行ってしまったけれど、どうしているのだろう…。

こういう感情は、同じ春の花である梅や桃にはありません。これだけは、桜でなければなりません。
桜には光と影、生と死、出会いと別れというようなことを思い出させる何かがあるのかもしれません。

梶井基次郎は、「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる! これは信じていいことなんだよ。何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。」と書きましたが、 あの不思議な美しさは桜だけのもの、それも日本の桜だけのものである、という気がします。
おそらくアメリカやヨーロッパで桜を見ても、感興はまるで違うのではないでしょうか?

20代のころの花見とは学生コンパであり、会社の上司に「お前ら、場所とってこい!」と言われて、「仕事を抜けだせるのはいいけど、よその会社と陣取りするのは嫌だな」といったようなことですが、歳を重ねると、思い出も増えてきます。 清らかな光に包まれた記憶からみみず腫れの記憶まで、いろいろな記憶がきらめきながら重なり、堆積していきます。

なかには「来年は、桜を見られるかな」なんて思いながら見る方もおられるでしょう。
年齢に合わせ、それぞれの思いをこめながら見る花、それが桜なのだと思います。


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