廬山寺

廬山寺は、もとは平安時代前期に創建された天台宗圓浄寺系の本山で、京都の北、船岡山の山麓にあったと伝えられます。しかし、たびたび兵火に遭い、1573年、豊臣秀吉の都市計画に従って、現在の場所に移りました。
現在の廬山寺は、紫式部の邸宅跡として知られています。おそらくこの場所で、『源氏物語』を著し、子どもを育て、息を引き取ったのでしょう。名作ゆかりの史跡として、多くの人が訪れます。

ごく小さな寺ですが、紫式部ゆかりの地らしく「源氏庭」と名づけられた庭には白砂が敷かれ、紫の桔梗の花が咲きます。これが凛として、とてもきれいです。

境内にある歌碑には、紫式部の詠んだ歌が記されています。


めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな

「ひさしぶりにお会いしたというのに、まるで見たかどうかわからないうちに雲の中に隠れてしまった月のように、あなたは帰ってしまわれましたね」という意味です。紫式部は、『新古今和歌集』で、幼友だちに会って書いた、と記しています。
「幼友だち」がだれなのかは、わかっていません。同性の女友だちとも言われますが、どうも男性と解釈する方が自然な気がします。


廬山寺の庭

廬山寺の庭は、白砂と松や苔の緑との対比が、清楚で美しいです。でも、紫式部が暮らしたころとは、ちがうはず。紫式部が執筆の合間に眺めていたのは、どんな庭だったのでしょうか。


廬山寺の桔梗

桔梗の花は、気品があっていいですね。見頃だったら、もっとたくさん花をつけるはずです。


廬山寺の鐘

境内の一画には、お寺の定番、鐘つき堂があります。


廬山寺の筆塚

筆塚です。筆塚とは、学問や書などの上達を願って、古くなった筆を供養するものです。紫式部にあやかりたい、ということでしょう。


廬山寺にある紫式部の歌費

紫式部の歌碑です。「めぐりあひて…」の歌が刻まれています。


公式ホームページ

廬山寺


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【廬山寺の基本情報】

●正式名称

廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)

●通称・別名

廬山寺(ろざんじ)

●宗派

圓浄宗(天台宗系)

●山号

日本廬山

●本尊

阿弥陀如来

●住所

〒602-0852 京都市上京区寺町通広小路上る北之辺町397

●電話

075-231-0355

●見学に要する時間

15分〜30分ほど。

●拝観時間

9:00〜16:00
※終了時間の30分前までに入場してください。

●休日

・1月1日
・2月1日〜2月9日
・12月31日

●駐車場

あり

●拝観料

    一般 団体割引
大人  500円 400円
大学生 500円 400円
高校生 500円 400円
中学生 400円 300円
小学生以下 無料
※団体料金は、30名以上。

●車いすによる拝観

不可


【廬山寺へのアクセス】

●京都駅から
市バス205系統北大路バスターミナル行きに乗り、「府立医大病院前」下車
●四条河原町から
市バス205系統北大路バスターミナル行きに乗り、「府立医大病院前」下車
※他路線バスでも行けたり、他ルートがある場合もあります。


【廬山寺観光のワンポイント】

廬山寺はそれほど見所がたくさんあるわけではなく、やっぱりキキョウの季節が一番きれいだと思います。 「源氏庭」は歴史学者の角田文衛博士らによって考証されて、紫式部が生きていたころの様子を再現したものですから、庭をじっくりと見てください。
そのほか、知る人ぞ知るポイントとしては、1591(天正19)年に豊臣秀吉が洛中のまわりにめぐらせた御土居の跡があります。京都上京区では、廬山寺と北野天満宮にわずかに痕跡が残されているのみです。

御土居の跡

▲御土居の跡
豊臣秀吉の都市計画の名残です。


知る人ぞ知る人もまず知らないポイントとしては、源氏庭の「紫式部邸宅」の文字があります。この文字は、『広辞苑』で知られる新村出氏の筆になるものです。

「紫式部邸宅」の文字"

▲「紫式部邸宅」の文字
国語学者、新村出氏の筆により書かれたものです。


【廬山寺の年間行事】

1月

●1月3日
初元三会

正月の初め、天台宗中興の祖である元三大師の命日に、その遺徳をしのびます。

2月

●2月3日・24日
節分会鬼法楽

鬼を祓い、福を招き入れます。

3月

●春分の日
春彼岸

春のお彼岸の法要を行い、祖先の霊を祀ります。

8月

●8月13日〜16日
盂蘭盆会

あの世から祖先や死者の霊を招いて祀ります。

9月

●9月3日
秋彼岸

秋のお彼岸の法要を行い、祖先の霊を祀ります。

【廬山寺の歴史】

廬山寺は、比叡山天台18世座主の元三大師良源(がんさいだいしりょうげん/慈恵大師)によって、天慶年中(938年〜947年)に創建され、初めは与願金剛院と号し、北山にありました。 皇室とのかかわりが深く、寺内には多くの皇族の墓があります。
鎌倉時代に入って、1243(寛元元)年、後嵯峨天皇の勅命により、法然の弟子、覚瑜が船岡山の南側のふもと再興、中国の廬山にならって、廬山天台講寺と号しました。


室町時代には応仁の乱で焼失し、豊臣秀吉の寺町建設によって天正年間(1573年〜1593年)に現在の場所に移りました。 その後もたびたび火災に遭い、現在の本堂は1794(寛政6)年、光格天皇が仙洞御所の一部を移築したものです。


明治維新後の廃仏毀釈運動が荒れ狂う中、明治天皇の勅命によって復興され、現在に至っています。


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【公式ホームページ】

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