銀閣寺

銀閣寺は正式には東山慈照禅寺、略して慈照寺といいます。1490(延徳2) 年、室町幕府第8代将軍足利義政の菩提を弔うために、如意嶽のふもとに足利義政が営んだ東山殿を禅寺に改めて開かれました。この時代の文化を東山文化といいます。

足利義政は応仁の乱後の1482年(文明14)に山荘造営を開始し、翌1483年6月、移住しました。山荘には日常生活の場である常御所(つねのごしよ)をはじめ、会所、西指庵、超然亭、持仏堂(東求堂)、庭園、船舎、竜背橋などがつくられました。
今日、銀閣寺として知られる観音殿は、1489年に上棟(柱と梁で骨組みをつくること)されましが、その翌年7月に義政は病没したため、完成を見ることはなかったと推測されています。

銀閣寺と言えば、創建時の観音殿には金閣のように銀箔が貼られていたという説があります。しかし、2008年〜2010年にかけての解体修理に伴って京都府教育委員会が行った調査によれば、金属反応はなく、銀箔説はほぼ否定されています。

調査では、2階の壁は内外とも黒漆で塗られていたことが判明しました。観音殿は、1914(大正3)年に半解体して修復しているものの、壁については江戸時代に塗り直して以降、補修されておらず、長年の風雨にさらされ、保存状況は危機的なものとなっていました。

京都府教育委員会は漆で再び覆う計画を立てましたが、「わび」「さび」の美しさを重んじる銀閣寺側と折り合いが難しく、結局、漆は内側だけに塗られました。

「わび」「さび」の魅力には、やはり捨て難いものがあります。私ははるか昔、高校の修学旅行で銀閣寺を見て感銘を受け、その魅力に惹かれて今までに何度となく、この寺を訪れました。 外壁まで黒漆を塗った銀閣寺も見てみたいような気もしますが、ビミョーなところでもあります。

創建時の色は、黒漆の黒を基調としたものだったと思われますが、外壁の一部で、黒漆の上にミョウバンを混入した白土を塗った跡が見つかっています。光の当たり具合によっては銀色に見えることがあり、銀白色を呈していた可能性もあるようです。事実、また、江戸中期の絵図に銀閣を「白角」と記したものもあるようです。

銀閣寺

夏の風が、銀閣寺を通り過ぎて行きます。


銀閣寺の方丈

銀閣寺方丈です。静かに佇んでいます。


銀閣寺の東求堂

こちらは東求堂。


銀閣寺の向月台

わびた銀閣寺に白い砂の向月台が映えます。


洗月泉

洗月泉です。この水でお茶を立てたら、おいしいでしょう。


夕日射す銀閣寺

少し日が傾いてきました。


秋の銀閣寺

こちらは秋の銀閣寺。落ち着いた風情です。


銀閣寺前の街並

銀閣寺の前には土産店や食事どころが並んでいます。ちょっとのぞいて行きましょう。

公式ホームページ

銀閣寺


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◎銀閣寺から平安神宮へ


京都観光街めぐり

【銀閣寺の基本情報】

●正式名称

慈照寺(じしょうじ)

●通称・別名

銀閣寺(ぎんかくじ)

●宗派

臨済宗相国寺派

●山号

東山(とうざん)

●本尊

釈迦如来

●住所

〒606-8402京都市左京区銀閣寺町2

●電話

075-771-5725

●見学に要する時間

20分〜45分ほど。

●拝観時間

3月〜11月 8:30〜17:00
12月〜2月 9:00〜16:30
※終了時間の30分前までに入場してください。
※特別拝観時は時間が異なることもあります。

●休日

年中無休

●駐車場

近くに京都市営駐車場あり。
時間 8:00〜17:00
駐車料金:
普通乗用車 800円(40台)
二輪車・自転車 200円
バス 2500円(12台)

●拝観料

大人  500円
大学生 500円
高校生 500円
中学生 300円
小学生 300円
※団体割引なし。

●車いすによる拝観


※障害者証明証持参の方、100円。付添人は有料。


【銀閣寺へのアクセス】

●京都駅から
市バス17系統銀閣寺・錦林車庫行きに乗り、「銀閣寺道」下車、徒歩5分
●四条河原町から
市バス17系統銀閣寺・錦林車庫行きに乗り、「銀閣寺道」下車、徒歩5分
※複数の系統のバスが走っています。17系統が速いですが、本数がやや少なめなので、来たバスに乗るのがよいでしょう。


【銀閣寺観光のワンポイント】

有名寺院なので、いつ行っても混んでいます。開門と同時に入れば、比較的余裕を持って観光することができます。時間に余裕があったら、奥の方も見てきてください。


【銀閣寺の年間行事】

3月

●3月下旬〜5月上旬
春の特別公開

銀閣寺の貴重な文化財が公開されます。

5月

●5月21日
開山忌

銀閣寺の盛大な法会が行われます。

10月

●10月上旬〜12月上旬
秋の特別公開

銀閣寺の貴重な文化財が公開されます。

※天候その他の諸事情により中止もしくは変更になることもあります。
※開催期間は銀閣寺公式ホームページよりご確認ください。


【銀閣寺の歴史】

銀閣寺がつくられた遠因は、室町幕府8代将軍足利義政の現実逃避的な性格にあるようです。


足利義政と妻の日野富子との間にはなかなか子ができませんでした。そのため義政は弟の義視(よしみ)を養子としましたが、その翌年、待望の男児が誕生しました。この子が義尚(よしひさ)です。
妻の富子は非常に強い性格の持ち主で、我が子の義尚を跡継ぎにしたいと考えました。一方、足利義視には将軍という権力職へのあこがれがありました。
足利義政は優柔不断な性格であったらしく、どちらとも決めなかったため、日野富子は山名持豊(宗全)を中心とする武士団に応援を頼み、足利義視は管領の細川勝元を中心とする武士団に応援を頼み、 1467年5月、西軍と東軍の間で応仁の乱が勃発しました。


戦いは11年に及び、その間に京の都は戦火に焼かれ、日本中が戦乱に巻き込まれました。しかし、山名持豊(宗全)と細川勝元が病死して収束へ向かい、 1478年、足利義政と足利義視が和解して、戦いは終結。跡継ぎは義政の実子の義尚とされました。


足利義政はもともと文人タイプで書画や茶の湯を好み、政治にはすっかり嫌気がさしたようです。
まだ、応仁の乱が続いている1473年、足利義政は義尚に将軍職を譲り、 1482年から祖父の足利義満が建てた北山山荘(金閣寺)に倣って、東山の月待山麓に東山山荘の造営を開始し、工事の翌年から住み始め、1490年1月に死去しました。
東山山荘は翌2月に足利義政の菩提を弔うため、寺に改められ、相国寺の末寺となって慈照寺と名づけられました。
銀閣寺という通称で呼ばれるようになったのは、江戸時代からのようです。


【銀閣寺を含む京都観光コースガイド】

◎銀閣寺から平安神宮へ


【公式ホームページ】

銀閣寺


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