出雲阿国

(いずものおくに)生没年不詳 桃山時代ー江戸時代初期

出雲阿国
出雲阿国は、歌舞伎の創始者とされる女性です。出身は、出雲国の松江ですから、現在の島根県。しじみ漁で知られる宍道湖のあたりでしょう。 鍛冶職人、中村三右衛門の娘と伝えられています。
阿国は出雲大社の巫女であり、出雲大社の修復費用をつくるため、京へ上って、北野天満宮などで歌や踊りを演じ始めたようです。
ブレイクしたのは、江戸幕府が成立した1603年のこと。男装の演技が大評判になりました。宝塚っぽい魅力があったのかもしれません。

実のところ、「歌舞伎の創始者」といわれても、阿国自身が歌舞伎踊りを考案して、歌舞伎が誕生したわけではありません。 歴史的な下地はすでにあり、何人もの踊り手の中で、才能に恵まれた阿国が光ったということでしょう。

さて、「歌舞伎」は「傾く(かぶく)」という動詞から生まれた言葉です。
「かぶき者」といえば、もともとは豊臣秀吉の晩年から徳川家康が江戸幕府の基礎を固めるころにかけて、不良っ気がある若者たちを指しました。
彼らは世の秩序から逸脱し、異風異体の格好をして歩いていました。今日でいう「不良」に近いものだったでしょう。 不良に「ワル」の魅力があるのは、 昔も今もたぶん同じですが、本当のワルは犯罪者に近いですし、大多数の人々は「かぶき者」に距離を置きつつ、「ワル」へのあこがれも持っていたということでしょう。

加えて、戦乱が収まった江戸時代初期の若者たちには、「遅れてきた」という意識があって、 やり場のない思いが、 はけ口を求めて噴出する先を探していたようです。そんな時代の空気に、阿国の歌や踊りがぴったりマッチし、人々は「かぶき者」たり得ぬ我が身を忘れて、 「いざや傾かん、傾かん」という囃子に乗って登場する演劇上の「かぶき者」に熱狂したようです。

阿国のあとにはたくさんのエピゴーネン(模倣者)が現れ、女歌舞伎は京の都から全国へ広まっていきました。しかし、1629年、風俗を乱すという理由で、 女歌舞伎は禁止されてしまいます。
歌舞伎が男性の役者によって演じられる芸能となったのは、それからです。

京都へ行ったとき、南座の間近、鴨川にかかる四条橋周辺を歩くことがあれば、川沿いのバス停付近を探してみてください。
出雲阿国の像が立っています。

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